PyQ進捗日記 #2
ちょっと日が空いた。
というのも、少し難しくて手が止まってしまう章があったからだ。
第5章if文のまとめ、
ダース(12本)を注文するか否かというところ。
正解は、
オーダーするものをorder_dozenと名付けて、order_dozen = order // dozenとして
余りをamariとしてamari = str(order_dozen) % 12にするらしい。
そもそも、自分で勝手に名付けていいとか、そういう考え自体がない(頭が固い)ので、「そんな自分で言葉作っていいの?」みたいな感じで、なかなか頭に定着しなかった。
中学の数学の先生は本当に怖かった(見た目は、新井英樹のザ・ワールドイズマインの「モンちゃん」にそっくりな、ぎらぎらした野獣みたいな風体の)んだけど、
その先生は、
「家に帰ったら、真っ白の紙を用意して、今日授業で習ったことを、何も見ずに、書き出せ。思いだすまで、思いだせ」
「思いだせなかったものが、おまえたちに足りないものだ。飽きるまで、公式を見ろ」「公式をそらで言えるまで、声に出せ。口から血が出ても、唱え続けろ。書き続けろ」
と、口うるさく毎日言っていた。
なんて無茶なことを言うんだろう、思いだせないものは、思いだせないでしょう、まるで軍国主義だわと、わたしは最初っからそんなことをしたことはなかったけれど、
今思えば、それは非常に有効な勉強法だなあと思う。
授業を、先生の言葉、動作の全て……何を黒板に書いたのか、ひとつも聞き漏らすまい、見逃すまいとして集中していれば、少しは数学もできただろうが、
思春期で、非常にひねっくれていて、勉強嫌いなわたしは、先生の顔も大嫌いで、一瞬も顔を上げることなく、ノートに絵や文章をかいていた。
そのときの文章や絵は今でも大切に取っているし、私の創作の原点ではあるけど、
受験戦争においては、一切なんの役にも立たなかった。
PyQをやっていて思うのは、
結局のところ、プログラミングであったって、無からなにかを書き始めなければいけないのだから、頭をひねくって、無からなにか生み出すという努力が、必要だなと思う。
無から有を思いだすためには、結局のところ、数学の公式のような、前提の知識が絶対に必要で、勉強というのは、その引き出しを増やすということなのだ、と最近になって実感する。
文章であっても、語彙や言い回しを、日本だけでなく、ドイツ、フランス、ロシアなどいろんな文化の本を読んで知っていなければ、一文字も書けない。
あの先生は大嫌いだった、大きくて凶暴な野生動物みたいで……
けれども、学問に対する愛はとても深い人だったように思う。
閑話休題。
とにかく私はif文が苦手であることがわかったので、何回もやり直さないと。
今日の進捗:6-7「リストを使ったプログラムの演習」
とにかく演習ができない。
何回も復習しなきゃいけない。